私たちは「アイドル」に何を見てきたか
2020年に入って、欅坂46がひとつの区切りを迎えたことを示す動きが相次いだ。1月にグループのセンターであった平手友梨奈が脱退を発表、他にも結成から欅坂46を支えてきた1期生メンバーが複数名、卒業を選んだ。
2月には欅坂46のデビューから現在までを捉えた初のドキュメンタリー映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』の劇場公開が告知され、3月4日にはソロとなった平手個人の公式ウェブサイトが開設された。
絶対的なシンボルとしてあった平手と欅坂46とが道を分かち、またその来歴をたどるドキュメンタリー映画の公開を控えた今春は、これまでの欅坂46のあゆみを顧みると同時に、グループが根本から仕切り直し、新たなクリエイティブを発信する契機となるはずだった。
もっとも、再起動に向けた動きは、おそらく当面のあいだペンディングを免れない。
新型コロナウィルスの感染拡大は世界規模で大きな被害をもたらしている。この状況下で、ジャンルを問わずエンターテインメント全体が通常の活動を停止・制限し、音楽業界も早くから感染拡大防止のために策を講じてきた。
欅坂46もまた、3月12日には上述のドキュメンタリー映画の公開延期を発表している。
また、かねてよりリリース時期を含めて詳細の決定が遅れていた次作シングルも、具体的な展開をアナウンスできるまでにおそらく相応の時間がかかるはずだ。
もとより、この10年あまりのアイドルシーンは、さまざまなスタイルでオーディエンスと同じ空間を共有する「現場」を中心に駆動されてきた。
2010年代いっぱいをかけて築かれてきたその文化は、2020年代の入口にあたってエンターテインメントの形式を問い直されることになる。
「アイドル」のイメージが氾濫した2010年代
ところで、グループアイドルシーンの活況・確立を経たこの10年は、「アイドル」というそもそも多義的なイメージが託されてきた言葉をめぐって、いくつもの位相から意見が投げかけられた時代でもあった。
称賛から批判、揶揄まで多岐にわたるそれらの声からは、アイドルなる存在についての語義の混乱やステレオタイプのありようなど、多くの視点が浮かび上がる。
欅坂46はそうしたアイドルをめぐるイメージについて、興味深い論点を照らし出す存在でもあった。
欅坂46は2010年代後半の女性アイドルシーンにおいて、最も存在感を示したグループのひとつである。
デビューから世に伝播してゆくまでのスピード感に関していえば、同じ「坂道シリーズ」の乃木坂46や日向坂46、あるいはその源流としてのAKB48グループと比べても随一だった。
注目すべきは、こうしたインパクトをもって登場した欅坂46がまた、熱狂的支持と冷笑という、相反する反応を社会から引き出してきたグループでもあるという点だ。
その対照的なリアクションのありようは欅坂46の際立った個性の証明であり、同時に人々が「アイドル」にいかなる意味を付与しているのかを浮かび上がらせる、ある種の依代としても位置付けられる。
欅坂46のインパクトのありかを顧みることは、「アイドル」なるもののパブリックイメージを洗い出すことにもなるはずだ。以下では、欅坂46の受容のされ方を振り返るとともに、そこから見える「アイドル」のイメージについて考える。
「サイレントマジョリティー」の魅力の正体
欅坂46のデビューシングル表題曲「サイレントマジョリティー」は、2016年春のアイドルシーンを席巻する作品になった。
発売に先立ってYou Tubeに公開されたMVは、シングルリリース翌月に再生回数1000万回を突破。以後、今日まで1億4000万回を超える再生数を記録している。同曲は既存の女性アイドルのファンダムを超え、この年の日本のポップミュージックのなかでも有数の注目曲になった。
あらためて振り返れば、「サイレントマジョリティー」は、体制に黙従する人々の姿とその状況へのカウンターを謳う若者の意志とを対照的に描いている。
とりわけそのMVが優れていたのは、楽曲の世界観を体現する振付や衣装、ロケーション、演出等、作品を表現するために集められたいくつもの要素が、統一感をもってひとつのモチーフを具体化させた点だ。
傑出したクリエイティブ
振付を担当するTAKAHIRO(上野隆博)は、多人数グループだからこそ可能になる群像としてのボリューム感を効果的に用いながら、統率された従順な“サイレントマジョリティー”たちと、躍動するレジスタンスとの双方を描き出した。
あるいは軍服調の意匠を採り入れた尾内貴美香の手による同曲のコスチュームは、統率される人々と意志をもって躍動する人々の双方を描くのに好相性をみせる。
また、池田一真が手がけたMVは、再開発途上の渋谷駅前の工事現場内部にロケーションをとり、その時点でしかありえない景色の一刹那を捉えて、欅坂46の登場と同時代の記憶とを結びつける特有のリアリティを映し出した。
デビューシングルにして、それら総合的なクリエイティブの傑出度をもっていたことこそが、欅坂46の急速な伝播の原動力になった。
いち振付師の役割を超えてステージングを方向づけてゆくTAKAHIROのディレクションにも導かれ、以降も欅坂46はミュージカル的な要素をたたえた特有の群像表現を育むことで支持を高めていった。
両極端な評価
もっとも、そうした欅坂46の存在感が注目を集めるとき、しばしば世間的にフォーカスされたのは、主要楽曲に頻出するテーマ設定、すなわち同調圧力や体制への従順さを否定するような、レジスタンスとしてのメッセージ性であった。
それらはときに「アイドル」として異端であるとされ、グループを代表するカラーのように語られもした。
また、それに呼応するように、「不協和音」や「ガラスを割れ!」などのちのシングル表題曲において類似のメッセージが綴られたことで、カウンターないしはレジスタンス、
あるいは「ロック」的な表象こそが欅坂46の特性として論じられがちになってゆく。
この欅坂46のイメージは熱狂をもって肯定的に語られる一方、グループへの冷笑を呼び込むものでもあった。
すなわちそのパフォーマンスを、“大人”からお仕着せられた歌詞や振付、揃いの衣装をもって、“大人”や体制への抵抗の身振りを表現する、自己矛盾に満ちた滑稽な構図と捉えて揶揄する声もまた、欅坂46をめぐっては少なからず見て取れた。
アイドルは“操り人形”か
そうした視線が醸成される背景には、「アイドル」についての固定的なイメージや、あるいは2010年代の女性アイドルシーンが抱えてきた特徴も関わっているだろう。
もとより、「アイドル」は「他者からのお仕着せ」や「異性(男性)に媚びる」ような表現として目されやすいものとして存在してきた。
その職能のなかでアイドル自身が主体的に行なう文化実践について捉えるよりも、あくまで“操り人形”的な客体としてアイドルを定義づけようとする言葉は今昔を問わず多く見られる。
また、そのようなイメージが現在においても語られ続けることには、理由がないわけではない。
欅坂46の総合プロデューサーである秋元康が手がけてきた2010年代の多人数グループのアウトプットのなかには、アイドル当人たちの人格に強い負荷をかけ翻弄することと不可分のイベントが多分に含まれ、それらはこのジャンルの抱える歪みになってきた。
欅坂46についていえば、楽曲パフォーマンスに密接にかかわる場でメンバーの疲弊があらわになる局面が近年幾度もみられたが、そうした疲弊がときに感動譚のように物語化して消費されてゆくことのあやうさもまた軽視できない。
そのような消費は、グループやメンバーを支持し肯定する受け手の熱意と同期するものであるだけに、ともすれば省みられることのないまま進行してゆく。
本稿の論旨からは外れるためここでは掘り下げないが、アイドルシーンが蓄積してきたそれらのいびつさはいまだ解消できないものとして問われ続けねばならない。
「上演」によってアイドルは能動的になる
ただし一方で、“大人”によって“作られた”歌詞やモチーフ、振付であること自体は、演者としてのアイドルたちが「主体性」をもたないことを意味しない。
詞曲や振付等の作り手とパフォーマーとが同一であることは、たしかに主体性らしさを見出しやすい条件ではある。
それゆえ、しばしばその作品がパフォーマーによる自作・自演であるか否かが「主体性」の有無のよりどころとなり、その区別はアイドル/アーティストといった古典的な二分法をともないながら論じられてきた。
「アイドルらしからぬ」という賛辞の罠
見落とされてきたこと
「サイレントマジョリティー」は、体制へのレジスタンスを語る歌詞表現としては、臆面もないほど直截(ちょくせつ)な言葉によって築かれた作品である。
しかしMVやライブパフォーマンスにおいては、その最大公約数的な言葉で描かれたイメージを大きく凌駕する、豊かで立体的な視覚表現となっていた。
先にみたように、それはいくつもの要素を集約する総合的なクリエイティブの成果であり、また半ば演劇的でもある群像表現を洗練させつつ提示できたゆえだった。
これは本来的にそうした総合芸術を旨とする、アイドルという表現フォーマットを駆使してこそ生まれたものである。
であればこそ、レジスタンスやロックといった、いわば表層的なテーマに欅坂46の特性を集約させることも、アイドル「らしからぬ」ものとして欅坂46を称揚することも、かえって演者としての彼女たちが行なってきた実践の価値を見えづらくさせてしまう。
欅坂46の初期キャリアを振り返れば、「サイレントマジョリティー」以降の「世界には愛しかない」「二人セゾン」といったシングル表題曲は、群像による演劇的表現という基調は一貫しながらも、作品ごとに異なったテーマ性が宿されていた。
また、シングル作品としての「サイレントマジョリティー」にパッケージされていた各楽曲はそもそも、レジスタンスのみならずラブコメディ的な上演から、
あるいはよりミクロで内省的な感受性の表現まで、描かれる人物像や世界の把握の仕方は相当の広がりをもっていた。
それら多様な人物像、多岐にわたる世界観をそのつど群像として上演できることにこそ、欅坂46のストロングポイントはあった。
それは決して非アイドル的な表現ではなく、むしろ多人数アイドルグループという上演形式そのものが、いかなる可能性を持っているのかを指し示すものでもあったはずだ。
表現を作り直す
本稿が意図するのは、アイドルという表現の卓越性を無邪気に礼賛したり、あるいはアイドルに「主体性」を見出して称揚することではない。
たとえば、先にふれたようなアイドル自身の疲弊と感動譚との結びつきはむしろ、受け手がアイドルたちの営為のなかに“主体性”らしさを見出すことで生じやすくなる。これは欅坂46が浮き彫りにした、アイドルというジャンルのあやうさである。
グループアイドルというフォーマットによってこそなし得た豊かな群像表現によって大きなインパクトをもたらし、そのインパクトゆえに「アイドル」という言葉をめぐる喧騒を呼び起こし、
またこのジャンル自体のいびつさを体現する存在にもなったのが、2010年代後半の欅坂46だった。
平手友梨奈を旗手として作品を突き詰めてきたその表現スタイルは、欅坂46のコンテンツの豊潤さでもあり、
同時に単一のパワーバランスとそれに紐付いたテーマ性が強く喧伝されることは、多人数グループの継続的な活動にとっては隘路の入口でもあった。
平手がグループを離れたことで必然的に生じる地殻変動によって、欅坂46は根本的に表現を作り直すことになる。
それはまた、「アイドル」のパブリックイメージを照射し、同時にアイドルというパフォーミングアートを洗練させてきたこのグループを通して、表現フォーマットとしてのアイドルがもつ性質を捉え直す契機にもなるはずだ。
書いたの誰?
操り人形に操り人形じゃないとやらせたら崩壊するのは必然ぐらいにしかおもってないけど
またまた勘違いしてしまうな
引用元: https://rio2016.2ch.sc/test/read.cgi/keyakizaka46/1589160341/
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コメント
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 14:30 ID: kyNzUyOTU
アーティスト様なら
握手なしでCD売って下さい
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 14:41 ID: gwMjU2OTg
責任を作品に押し付けんなよ。それ以前の問題だろ、ここは。
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 14:52 ID: M0NzQ1OTA
欅坂は肥えたアイドル!
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 15:56 ID: I2ODc1NzI
三日天下もええトコやったな
三匹のこぶたの家じゃないが急拵えは脆い脆い
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 16:12 ID: QxNTk5MDc
いい加減しつこい
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 16:14 ID: YxNzg1ODU
まぁ 肥えたんだったら唯のデブやな
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 17:05 ID: AzNTY3OTA
ケヤカス管理人ご苦労様 笑い
名無しのまとめラボ 2020年5月12日 17:13 ID: YyNDk4NDc
誰やねん
まじで誰?
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